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2004.9.11 文化情報学部開設記念シンポジウム 多数のご来場ありがとうございました。



2004年9月11日、同志社大学 寒梅館(新大学会館)1階 ハーディーホールで、(2005年新設)文化情報学部開設記念シンポジウムが開かれました。
以下は、朝日新聞紙上で紹介されたものです。


 薬学を研究しながら小説を書いた作家、瀬名秀明さんの基調講演「『人間らしさ』の謎解く科学」のあと、JT生命誌研究館長の中村桂子さん、考古学者の森浩一さん、同志社大学教授の村上征勝さんが、学問の方向性などを語り合った。
(司会は天野幸弘・朝日新聞編集委員)

文系理系 壁を壊せ 「重ね合わせて新展開」中村氏 「つなぐ基礎は厳密に」森氏 写真

写真(左から)
村上征勝氏 (むらかみ・まさかつ)
45年生まれ。北海道大大学院工学研究科修了。元統計数理研究所教授。著書に「文化を計る」など。

中村桂子氏 (なかむら・けいこ)
東京大大学院生物化学科修了。早稲田大教授などの歴任。著書に「生命誌の扉をひらく」など。

森浩一氏 (もり・こういち)
28年生まれ。同志社大大学院修了。同志社大名誉教授。著書に「日本神話の考古学」など。

研究の分野だけでなく、日常的によく耳にする「文系」「理系」。大学では新しい学部を設けるなどしてその壁を取り除こうとする「文理融合」の動きが見られるなか、「文・理の壁を壊せ」と題したシンポジウム(同志社大学、朝日新聞社主催)が9月11日、京都市上京区の同志社大学で開かれました。

「文理融合」についてどうお考えでしょう。

日本の近代的な考古学は、明治に東大に招かれた(大森貝塚を発見した)米国人生物学者のモースや、大阪の造幣局(当時は造幣寮)に来ていた英国人技師ゴーランドら理系の人が始めた。大正から昭和にかけて歴史との関係から文系に移ったが、最近も遺物の材質の分析から年代などを知る考古学が発展しているように、理系も文系も壁はない。
村上 「和魂漢才」という言葉がある。日本固有の精神をもって中国から伝来した学問を活用することの重要性を強調した表現だが、文理融合型の学問というのも、文系固有の精神をもって理系の研究方法を活用することだ。
  その意味で「文魂理才」と私は呼ぶ。そして文系と理系をつなぐものとして「データサイエンス」を提案している。現象を理論でなく、データに基づいて解明していく。これによって理系と文系の研究を融合させることになるのではと思っている。
中村 生命の研究では、全体で矛盾を組み込んでいくことが大事で、歴史性が大切になる。これまでの機械論では、生命は理解できない。物語ることが生き物を理解することになる。言葉も生き物も時間で紡ぎだされる。時間に取り込み、物語を紡いでいく。それが学問になっていく。
  学問と学問が融合することはないと思う。研究者全員が学問と日常を重ね合わせれば、その部分で必ず学問のつながりが出て、新しい展開があるはずだ。

そもそも文理の壁というのは、あるのでしょうか。

瀬名 あると思う人にはある。理系がどうのという人の多くは、いわゆる文系の人のほうが多い。仕事では、読者には文系の人もいるから理系の話は少し抑えてください、みたいなことを編集者から言われることがある。
壁はあまり感じないが、理系と文系を適当につないだ程度で「こういうことが分かった」と発表するのは危ないと思う。
  なまかじりの知識は、かえって世の中を混乱させることになりかねない。壁はないが、それぞれの基礎は厳密にする必要がある。
村上 宗教書の真贋判定で関連の研究会に呼ばれて、「ご上人様の文書をコンピューターで分析するとは何事か」と怒られ、これは大変だと思った。
  井原西鶴の作品の分析をやっているが、研究方法が根本的に違うとつくづく感じる。研究方法を紹介し、こういうデータベースを使わなくてはならないと説明しても、理解してもらうのに1〜2年かかる。
中村 最初に勉強した学問が、その人の考え方の基本になる。私の場合は化学。文系の人と共同で多くの模索をしているが、基盤は物をきちんとつかまえて考えるというところにある。
多くの大学で環境に関する学科が作られているが、環境は、物理学も社会学もと、あらゆる学問で必要かつ重要な対象。どこかに切り口を持っていないと、学問はできない。そのうえで生命、人間、環境など「文だ」「理だ」といわずに面白いこと、大事なことを研究することが大切だと思う。
「抽象論より挑戦・継続」村上氏

年代測定や遺伝情報の分析など、
最近は理系的な手法による考古学の話題も多いですね。

弥生時代の年代測定で、生物が死ぬと放射性炭素が一定の法則で減るのは確かだが、土器に付着したおこげでも分析ができるのか疑問だ。DNA考古学では、例えば縄文人は栗を栽培していたことがわかってきているが、分析する栗が野性か、栽培していたものの子孫かによって、結果が違う可能性もある。鏡の分析でも、出土地や出土状況がわからないと、混乱のもとだ。科学者がいろいろやってくれるのはありがたいが、基礎データのとり方が甘いのではないか、と非常に心配になることもある。

会場からは、「壁を壊す方法は」という質問が出ています。

村上 壊して融合するためにどうすればいいかを抽象的に議論していてもダメ。例えば法学の分野で何か問題があったとき、理系の方法で説くことができないかチャレンジする。そこが重要だ。私が文章の分析を二十数年前に始めた時、理系の先生から「できるわけがない」と言われたが、長い間やっていると、だんだん認めてくれる人が出てきた。どうなるか分からないけどやってみようという勇気があれば、いろんな分野の融合は可能になる。
瀬名 文理の壁とは文化の衝突でもある。この問題に悩む人は、日常の中で自分の仕事をいかに社会と結びつけていくか、その現場でもどかしさややるせなさを感じている人ではないか。
中村 自然科学は数式で簡単に表現してきた。仲間内で論文を書いて理解し合い、それで済んできた。しかし本当に素晴らしいことなら、多くの人で素晴らしさを分かち合えるはず。理系の人たちが数式だけでなく、言葉や絵で上手に表現するようになれば、文理融合を超えて、もっと学問が深く、面白くなると思う。

写真

瀬名秀明
(せな・ひであき)
東北大大学院薬学部研究科在学中に書いた「パラサイト・イヴ」で日本ホラー小説大賞。
著者はほかに「小説と科学 文理を超えて創造する」など。

学問 深く 面白く 同志社大学・朝日新聞共催シンポジウム「驚き楽しむ豊かさが大切」瀬名氏

細胞中にあるミトコンドリアが人間社会に反乱しようとする恐ろしさを描いた小説「パラサイト・イブ」にはさまざまな反響があり、文系、理系について考えるきっかけになりました。

小説家はうそをついて読者を楽しませるのが仕事だが、科学者はうそをついてはいけない。小説を書く科学者は信用できない、と言われたこともあります。テレビ番組では司会者が「理系はメガネをかけている割合が多く、背広の丈が長い人が多い」と。外見でも壁があるようです。

 しかし、文系と理系は私たち一人ひとりの心の中にあります。世界を深く理解したいという衝動がおもしろさにつながって、学問や物語になっていくのは同じだと思います。

 私は最近、ロボットにはまっています。鉄腕アトムの誕生日とされた2003年4月7日が過ぎ、ブームは下火になりましたが、実際的な研究はむしろ進んでいます。

 ヒトゲノム(人間の全遺伝情報)の解析は人間を内側から見直す作業ですが、人型ロボットを作って動かすと、人間がどう動き、考えているかがわかります。

「自分とは何か」ということを、遺伝子とロボットの両方から挟み撃ちできるようになってきたのです。

 大阪大学などでは、人間そっくりのロボットを見て人間がどう考えるかという研究が進んでいます。「気持ち悪い」と思う人も、思わない人もいる。人間性の境界が潜んでいて、「人間らしさ」を自問自答することになる。違いを切り分けることで、人間らしさを再定義できるかもしれない。これが文理を超えた21世紀型科学の第一歩になるような気がします。

 また、今後は看護学や福祉学も従来の科学を広げる重要な分野になっていくでしょう。「何を」だけでなく、「いかに」が大切で、21世紀は小説や芸術をも含めた全体を科学にすることが求められているのではないでしょうか。

 科学のテーマは個人的な経験から生まれるものです。しかし、優れた研究者はそれを普遍化させ、国際的な場面で発表し、人々の興味を引きつけます。つまり世界と自分の地域や環境をつなげるのです。科学には人間臭さがないと思われがちですが、研究は極めて人間的な行為なのです。

 文理融合とは、自分の中で面白さを突き詰めて広めていくことではないか。文系、理系というより、専門と教養をつなげることと考えた方がいい。教養とは「広く浅く」ではなく、他のものにも興味を持ち、自分の専門とうまく結びつけて視野を広げ、新しいことをやっていく底力だと思う。そうして世界の「驚き」を楽しむ豊かさが大切なのではないでしょうか。